ポール・デイヴィス著『生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く 』を読んだ話。

目次。

 

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きっかけ。

 

「ひと月半後に海外大学院への学位留学志望者を対象とした奨学金の面接が始まる…。面接に備えて、何か論理武装しなければ!」

と考えていたのは、9月下旬の頃。学位留学用の奨学金書類を書き終え、出願書類に書いた内容を補強するようないい本はないのか、と少し焦りつつ、いい本を探していた。

(ちなみに学位留学と言うのは、海外の大学院で博士号を取るためにする留学のことで、期間は5年間くらい)

 

そんな中、研究室の先輩に進めていただいたのが『生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く 』という本。奨学金の応募書類には、『将来、情報理論・量子情報を用いて、物理現象「生命」を記述する物理学を創りたいと思っているので、物理学専攻で量子情報の研究に従事したい』みたいなことをつらつらと書いたが、この本にもまさしくそのようなことが書かれていた。ほんと、びっくり。

(ちなみにこの本では、量子情報についてはあんまり触れられていない。量子情報の世界から量子版マックスウェルのスーパー悪魔は降臨したが。そもそも今は、生物と量子力学にはなんか関係があるんじゃないかという証拠が集まり始めたところで、生物を説明するために量子力学が重要なはたらきをするかどうかは、まだ分からない)

 

この本は、学位留学の奨学金面接に挑むときの武器になりそう。そんな武器を使いやすい形に整えておこうと思い立って、この文章を書き始めた。つまり、備忘録を作ろうというわけである。もちろん、ブログとして公開するので、単なるメモ書きにするつもりはないので、ご安心を。

 

 

 

 

注意など。

・この本は、一回しか読んでいないので、誤解しているところが多々あるかも。

・僕は、読解能力が高くない。

・興味のない部分とか、この本以外でも説明されている内容は、結構省略している。

・以下に書かれてある内容は、本の要約であるが、時々、補足的な内容を付け加えたりしている。「ここから、僕が補足した内容です」みたいなことは一切書いていない。本の内容と、補足した内容がごちゃ混ぜになっている。

・この文章は、海外留学の奨学金の面接に向けた備忘録的な意味合いがある。

・1万字以上ある。

 

という点をご了承の上、以下の文章を読んでいただければ。興味があれば、ぜひ本を買ってください。個人的にこの本は、むちゃくちゃ面白かった。

 

 

 

 

生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く

第一章 生命とは何か

「生命とは何か」は、量子力学の創設に大きな影響を与えたシュレーディンガー博士の歴史的な講演をまとめた啓蒙書。

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第一章では、生命と非生命の違いは、「情報」であると述べられている。簡単な例は、遺伝。その他にも細胞が外界の情報を集めたり、アリが互いに情報交換したりといった具合に生命は情報という言葉で特徴づけられる。と言っても生物は、物理的実体だが、情報は抽象的な概念である。物理的実体と抽象的な概念をどう繋げればよいのだろうという問いでこの章は終わり。

 

 

第二章 悪魔の登場

物理学で有名な悪魔と言えば、もちろんマックスウェルの悪魔。マックスウェルの悪魔が物理的な実体をもつ系と抽象的な概念である情報の結びつきの糸口を与えた。この章で最初に説明されていることは、熱と情報の結びつきの話。

 

マックスウェルの悪魔は、この本で詳しく説明されている。この悪魔は、有名なのでこの場での説明を省略しようと思ったが、本のタイトルに悪魔という文字が含まれているので、やっぱり略さずにここでも悪魔について説明する。

 

インクを水にたらすと、インクが全体に広がる。インクをたらした瞬間、インクの分子は一点に集まっていて、エントロピーが低いという。インクが全体に広がった状態は、エントロピーが高い。色々な現象は、エントロピーが高くなるように進む。インクの例で言うと、インク分子が拡散するのがまさにそうである。逆に拡散したインクをしばらくほったらかしにしておくと一点に集まる(エントロピーが下がる)ということはない。

 

これは、一般的に熱力学第二法則とかエントロピー増大則といった名前で呼ばれる。この法則を侵そうとしたのがマックスウェルの悪魔。インクの例でいうと、水の中に蓋がついている箱を沈め、蓋のそばに小さな知的生命体(悪魔)を配置し、インク分子がこちらにやってきたときだけ、蓋を開けて分子を箱の中に入れるという動作を繰り返していけば、インク分子は箱の中に集まる(エントロピーが下がる)のではないかといった話。つまり、悪魔がいれば、熱力学第二法則は破れるのではないかとマックスウェルは指摘した。

 

些細なようにも思えるが、悪魔によって物理学者は100年以上苦しむこととなった。

 

悪魔を葬るための足掛かりになったのが情報理論。悪魔がインクの位置情報を得て、その情報を処理する際にエントロピーが増大するため、インクが箱の中に集まったとしても、全体のエントロピーは増大しており、熱力学第二法則は破れていないといった解決案が提案され、悪魔は葬り去られた。

 

しかし、悪魔はエントロピーが増大しないようにインクの位置に関する情報を処理をすることが可能であることが指摘され、悪魔は甦った。(情報処理は可逆的に行える。ある問題を計算して答えを導く過程を全部紙に書いておけば、答えから問題に遡ることができる)

 

その悪魔を再び、葬るために注目されたのは、情報処理で得られた情報の消去プロセスである。悪魔がインクの位置情報を得て、それを処理した後、その結果を使って蓋を開け閉めするためには、その情報をどこか(悪魔の脳みその中、メモリとか)に保存しなくてはいけない。情報処理を繰り返し行って、インクを箱の中に集めると、処理によって得られた情報が悪魔の脳みその中に溜まり始める。悪魔の脳みそが有限の場合、情報が溜まったままだと、いずれ情報処理で得られた情報を保存することができなくなり、それを元にした蓋の開け閉めができなくなる。永続的に蓋の開け閉めをするためには、悪魔の脳みそにある情報を消去する必要があるのである(非可逆過程)。その際にエントロピーが増大することが指摘された。

 

普通、熱機関が仕事をするには、高温熱源と低温熱源という2つの熱源が必要であるが、悪魔の場合、真っ新なメモリ(0が並んだメモリ)さえあれば、単一の熱源だけでインク分子を一か所に集めるという仕事ができる。仕事をするために、悪魔は情報処理を行い、結果をメモリに保存する。0が並んだメモリに0と1の列を書き込むことによって、(情報)エントロピーが増大し、不要になった情報を削除する際に熱が発生する(エントロピーが増大)。

 

熱機関に必要なのは、高温熱源と低温熱源。悪魔に必要なのは、単一熱源と情報を保持するメモリ。前者は熱エンジンと呼ばれるので、後者は情報エンジンといったところである。実際にこの概念を実装した実験系がいくつもこの本で紹介されていた。

 

ここで大事なことは、情報は漠然としていて、独立したものではなく、熱力学に出てくる熱、仕事といった概念と密接につながっているということ。マックスウェルの悪魔がこの密接なかかわりを教えてくれたともいえる。

 

その後、話は生物の話へと移り、生物の中のマックスウェルの悪魔(ランダムな熱振動(単一熱源)の中で、情報を取得し、仕事を行う生体システム)の例がいくつか紹介されていた。

 

最後に、ランダムATGC列と遺伝子をコードしている領域のATGCは、シャノンの情報理論における情報量は一緒だけど、その情報が生物に及ぼす影響は全然違う、つまり、遺伝情報は文脈依存でそれを解釈する機構が必要であること、生物は一種の予測マシンであることを指摘してこの章は終わる。

 

確かに生物は、外界の情報を集めるが、それよりも大事なのは生物を一種の情報処理システムとみなすことであり、そうみなすのであれば、計算理論も生命を記述するためには必要である。

 

 

 

 

第三章 生命のロジック

生命の話をすると、どうしてもそれを構成する生体分子に注目しがちであるが、情報の視点で生命を眺めることも大事である。生命とは、化学パターン(ハードウェア)と情報パターン(ソフトウェア)の融合体ともいえる。

 

という前置きの下、だったら生命の驚きの能力は、論理と計算の理論を使って、何かしら紐解けるのではないかということで、ゲーテルの不完全原理とか、ヒルベルトの停止問題(決定問題)とかに話が移る。

…多分、僕、ここら辺よく分かってない。

 

まずは、ラッセルのパラドックスから。

A :この命題は偽である。

これがいわゆるラッセルのパラドックス。Aというのは、「この命題は偽である。」という文章をAという文字でラベル付けしたもの。つまり、この命題とは、Aに相当するものである。もし命題Aが真であれば、「この命題は偽」という命題Aの文言に矛盾し、命題Aが偽であれば、命題Aは真となって、これまた矛盾する。自分で自分を言及する(この命題は~)ことによって起こるパラドックスである。

 

このラッセルのパラドックス、いわゆる自己言及のパラドックスからゲーテルの不完全性原理の話に続く。

この原理は、

算術における真の命題をすべて証明できるような無矛盾な公理系は存在しない

ということを証明している。言ってしまえば、数学は絶対に矛盾ない結論を導くことができるということ(自己言及的)を数学によって証明することはできないということである。

 

一見、絶望的な話のように思えるが、この本では「数学の世界には新しいことが無限に存在している」とポジティブにとらえており、やんわりとネットとかでゲーテルの不完全性定理を調べてみると、「数学の終わりというより、むしろ数学の始まり」といった意見が多かったように思う。僕は、ゲーテルの不完全性定理を深く知らないので、何とも言えないが。

 

次に登場するのは、ヒルベルトの停止問題(決定問題)。「ある問題が与えられて、コンピュータのプログラムがその問題を解くとき、有限時間で計算が終わるのか、それとも計算が無限に続くのか」といったようなもの。

この問題に対して、チューリングは、停止問題を解くためのアルゴリズムは存在しないことを証明した。つまり、ある問題を解くのに無限時間かかるプログラムがあったとしても、「そのプログラムが問題を解き終わるには無限時間の時間が必要」ということをあらかじめ導き出すようなプログラム(自己言及的)は存在しないということである。先ほどのゲーテルの不完全性定理と似たような話。

 

数学の世界にも、プログラムの世界にも論理構造があり、自己言及的なことを考え出すと、ゲーテルの不完全性定理やチューリングのような話に繋がってくる。第三章の最初で言った通り、生命を情報パターン(ソフトウェア、プログラム)としてとらえるならば、生命にもプログラムの世界に対応するような一種の倫理構造があり、自己複製といった、いわゆる自己言及的なことも行われている。それにより生命の論理にもゲーテルの不完全性定理に対応するようなこと言え、生命が際限なく複雑で多様であることの理由になっているのではないだろうか。

 

といった感じのことをこの本では言っていると思う。ここまで、長かったが第三章はまだまだ続く。次は、セルオートマトンの話。

 

セルオートマトンは、方眼紙のようなマス目に色が塗られたもの。それぞれのマス目は、毎ステップ、あらかじめ設定した更新ルールに従って、色が塗られたり、塗られた色が消えたりする。単純なルールでも多様な模様が生じることから、抽象的に情報の観点から生命現象を捉えるためのツールとなっている。

 

セルオートマトンの更新ルールは、一般的には固定されているが、ここでは(自己言及的)生命体を表すセルオートマトンと環境を表すセルオートマトンの2つを用意し、更新ルールが2つのセルオートマトンの状態によって変化するという条件によって、どのようなことが起こるか調べた研究が紹介されていた。このような条件の下で生じるパターンは、一般的な更新ルールからは決して生じることがないものであったという。つまり、「状態依存(生命体と環境、2つのセルオートマトンの状態)」による更新ルールは、セルオートマトンに新たな複雑さをもたらす。

 

今まで、生命を単なる情報処理システムと捉えていたが、それだけでは不十分で、セルオートマトンの更新ルールが刻々と変化するように、その情報処理方式が進化しなければ、生命に多様性は生まれない(これは筆者が言いたいことの伏線。もう一つ、因果に関する伏線があったが他のところでも張られているのでここでは省略省略)。

 

最後に生物を電子回路的な視点で見るという話が続くが、実例が多いので省略。生体分子を一個一個細かく見たとしても、生命は理解できず、細かな構造は無視して、システムとしてどのように振舞っているかという視点で見なければいけない、といったことがつらつらと書かれている。

 

情報の概念が持つ強力な点は、一つの考え方が分子間、細胞間、個体間とあらゆるスケールにおいて成り立つこと。…これは、単なるメモ書き。

 

 

 

 

第四章 進化論2.0

前半は、エピジェネティクスの話。エピジェネティクス的な視点を加えて、進化論を拡張しようといったこと。ジェネティクスは、遺伝子が個体の性質をどう決めるかといったことを研究する学問で、それに対し、エピジェネティクスは遺伝子以外の因子が個体の性質をどう決めるかといったことを研究する学問。

 

今まで、エピジェネティクス的な因子は、一世代だけのものだと思っていたが、世代間で遺伝するのは初めて知った。

 

例として紹介されていたのは、プラナリア。頭部と尾部で二つに切り裂いても、頭部の部分は尾部を、尾部の部分は頭部を再生し、元通りの形に復活する。頭部だけが残っているプラナリアの断片が自分は尾部を失ったことを感知し、尾部を再生するというプロセスには、傷口に生じている電気的なパターンが関係しているらしい。その電気パターンを狂わすと、尾部の部分に頭部があるプラナリアができる。そして、頭部が2つあるという性質は、次世代に遺伝する。遺伝情報は、頭部が2つになる前と全く一緒であるが、プラナリアの電気的なパターンは、頭部が1つの時と異なる。つまり、電気的なパターン(エピジェネティクス的な因子)は、後世に伝わるのである。

 

この例から、遺伝子の情報だけではなく、もっと大きなスケールの電気的なパターンだったり、構造に保存されている情報だったり、いわゆるトップダウン的な見方を持って、進化論を拡張すべきであると述べている。これが筆者のいう進化論2.0。

 

第四章の後半は、適応的変異やがんの話。細菌は、自身が栄養飢餓など生きるのに不利な環境に置かれると、わざとDNA複製の変異率を上げる。これは適応的変異と呼ばれる。変異率が上がると言っても単にすべての領域の変異率が上がるのではなく、壊れて困る遺伝子にはあまり変異が入らないようになっている。

 

がんの話は、主にがんの先祖返り説。がんは、遺伝子が傷ついて暴走した細胞ではなく、多細胞生物として生きるために必要な機能を捨てて、古来の単細胞生物として生きるために必要な遺伝子のみを機能させた細胞だとこの説では考えられる。がんは、単細胞生物同様に適応的変異によって、変異率を上げ、抗がん剤といったがんにとってストレスとなる要因に高速進化によって適応する。厄介なことに単細胞生物と同様、がんが生きるために必要な遺伝子にはあまり変異が入らないようになっている。

 

人類ががんに立ち向かうためには、単にがんを殺すことだけを考えるのではなく、がんを生物学的な現象という視点からとらえたり、長い生命の進化の歴史における立ち位置に注目したりすることが大事。

 

 

 

 

第五章 不気味な生命と量子の悪魔

この章は、量子コンピュータの話から始まる。そのため、この段落の文章も量子コンピュータから始めよう。そして最近、量子コンピュータが話題になっているので、文章中に量子コンピュータ、量子コンピュータって書いておけば、量子コンピュータって検索エンジンにかければ、この文章が引っ掛かるのではないかという下心もあったりして。。。

 

コンピュータは、ビットを扱う機械であるが、量子コンピュータは量子ビットを扱う機械。量子は英語でquantum。量子ビットは、quantum bitと言うことでキュビットと呼ばれたりする。ビットは、0か1の状態をとるのに対して、キュビットは、0と1を重ね合わせた状態をとる。大量の計算を重ね合わせの状態で解くことができるため、今あるスーパーコンピュータとは、比べ物にならないくらいのレベルで大量の計算を瞬時に行える。

 

と言ってもこの本は、生命の話。散々、生命をビットを処理する情報処理システムと形容してきた。ひょっとすると生命は、ビットだけじゃなくて量子ビットを処理する量子情報処理システムではないだろうかと投げかけてこの章が始まる。ちなみに注意しなければいけないのが、現段階で生命が量子計算しているという証拠はほぼない。

 

前半は、量子の世界の不気味さの説明。後半は、生物に見られる量子力学で説明される現象の説明。エネルギー障壁を幽霊のようにすり抜ける量子トンネリング効果を使って電子伝達を高速化したり、光合成で光から得たエネルギーを取り得ることができるすべての経路の重ね合わせの状態で輸送し、輸送効率ほぼ100%を達成したり、量子もつれを利用して微小な地磁気を感知したり、量子化された分子の振動エネルギーを検出することによってにおいを感じたり。

この章で書かれてあることは、以下の本に書いてある内容とほぼ同じ。

 

学部4年の頃に「僕が進みたいのは、量子力学で生物を理解する量子生物学なんじゃないか」と思って、上の本を読みだした。結局、色々あって量子生物学は自分のやりたいことではないという結論になったが。

 

量子効果を取り入れた生命現象については、まだその証拠が少しずつ出始めたばかりである。量子効果が生命現象全般に必須な効果かどうかは分からない。

 

これは自戒としての意味もあるが、生命現象に量子力学を持ち出すと、量子力学なしで説明できる問題に解を与えるどころか、いたずらに問題を難しくしてしまうといった危険性がある。なんでもかんでも量子、量子と言っていればいいわけではない。気を付けないと。

 

と言っても、光合成など、あからさまに量子効果を取り入れた現象はある。量子効果は、生物の熱く湿った熱振動によって壊れるとされているが、少なくともそんな環境でも生体分子を使って、量子効果を起こすようなシステムをつくることは可能であるということである。

 

この本でも述べている通り、量子効果を使えば、古典力学の世界では考えられないようなことができ、光合成のエネルギー輸送システムのように生体分子を用いて、熱ノイズに負けないような量子系をつくることは可能である中、生命が積極的に量子効果を自身に取り入れるように進化しないとは考えにくいと思う。

 

もちろん重ねて言うが、生命が量子効果を使っている証拠はまだ集まり始めたばかりなので、今の段階では何とも言えない。

 

けれども、著者が提案している熱をビットに変えて仕事を取り出すマックスウェルの悪魔に対応する熱を量子ビットに変えて熱ノイズによる量子系の破壊を防ぐ量子版のマックスウェルの悪魔がいれば、むちゃくちゃ面白いと思う。

 

 

 

 

第六章 ほぼ奇跡

生命の起源の話。僕は、分子複製システムを使った生命の起源に関する研究をしていて、この本では生命の起源という文脈で、分子複製システムが取り上げられていたのでうれしい限り。と言っても、著者は、分子複製システムを使った生命の起源に関する研究を批判していているのだが。批判に関しては、「その通りでございます」としか言いようがないが、この手の問題は別にこの分野に限ったことではなく、あらゆる分野が孕んでいる問題のような気がする。

 

ここでの著者の主張は、ここまで読んできたら大体想像つくが、生命の起源を考えるときは化学的、つまり物質的な側面からじゃなく、情報的な側面からもアプローチするべきであるといったようなこと。

 

後半は、影の生物圏という話。生命誕生は偶然によって起こったという立場の人がいる一方、生命誕生は必然的に起こるものであるという立場の人がいる。もし後者の立場が正しいとすると、地球上で生命は複数回誕生しているはずであり、ある生物集団とは独立した起源をもつ生物集団のことを影の生物圏と呼ぶらしい。

 

生命誕生後、真核生物の誕生、性の誕生、多細胞生物の誕生といった大きなイベントが生じており、みんな、その形態や複雑さに目が行きがちであるが、それに伴う情報構造の再構成、つまり生命のソフトウェアの大幅アップデートにも注目しないといけない。

 

 

 

 

第七章 機械の中の幽霊

心とか、自己とか、意識とかの話。歴史的に人々が心とかをどのように捉えていたとか、神経の電気信号の伝達の仕組みの話なんかがあるが、あまり興味がないのと、生物系の本には大体書いてあることなので割愛。

 

統合情報理論による意識の定量の話が面白かったのでそこから。入力と出力がある何かしらの回路があって、その回路の一部をハサミで切る。ある回路は、それによって出力が大幅に変わるだろうし、また別の回路はあんまり出力に影響がないかもしれない。前者は、回路をハサミで切ることによって大幅に情報が失われる高度に統合された回路であり、後者はあまり回路の切断によって情報が失われない統合の程度が小さい回路である。そして、回路を切断することによって失われる情報を元に回路の統合の程度が計算され、それはΦというギリシャ文字で表される。統合情報量Φが大きい回路のことを「意識の程度が高い」と言うそう。統合情報量Φは、また後で登場する。

 

…インターネットとかはどうなんだろうか。ものすごく複雑で何だか意識を持っていそうだが、回線をブチブチに切っても、ネットワークの構造に冗長性があり、情報はちゃんと伝わるので、やっぱり意識はないのか?冗長性を持ったネットワーク構造の統合情報量Φは、過小評価されそうな気がする。

 

次に登場するのは、自由意志の話。人間の意識で特徴的なものは、自由という感覚である。自分の行動は、自分の好きなように決められるということである。つまり人間は、主体として振舞うことができる。その感覚が単なるまやかしか否かというのがここでの話。還元主義者の立場は、「脳は、分子や原子からできていて、分子、原子は物理法則に従うので、自由という感覚は単なるまやかしである」というもの。これに異を唱えるのがここでの話。そして、この話がエピローグへの伏線になっていたりもする。

 

便宜上、脳の機能などを考えるときは、ニューロン一個一個を考えるよりも機能ごとのモジュール単位で考えた方が分かりやすい。それだけではなく、統合情報理論では、このようなモジュールを形成したほうが、単体でいるより多くの情報を処理できるそうである。そして有効情報理論の研究によると、原子・分子のレベルではなく、高度なモジュール、すなわち主体レベルになってやっと初めて現れる因果関係があるらしい。つまり、自由意志は、物理法則に従う原子・分子に支配されているわけではない。自由意志の因果は、なんと原理的にも分子・原子レベルには存在していないそうである。すべての系がミクロから説明できるとは、限らないのである。この本では、このことを端的に「マクロはミクロに勝てる」と表していた。

 

最後に量子力学でお馴染みの観測問題に話が及んで、この章は終わる。先ほどの量子コンピュータの量子ビットの例にもあるように量子系は、複数の状態を重ね合わせた量子状態を取ることができる。しかしながら、その量子状態は、何かによって観測されると重ね合わせの状態が壊れ、一つの状態しか取れなくなる。このことは、波動関数の収縮といった言葉で呼ばれる。波動関数の収縮は、定性的な議論が多いが、先ほど出てきた統合情報量Φを使えば、定量的な議論ができるのではないかという仮説がここで紹介されている。つまり、量子系とそれを観測する系を合わせた系の統合情報量Φの値によって、量子系の時間変化、波動関数の収縮具合が決まるといった話である。ここで次につながる大事な話は、統合情報量Φの値によって、量子系の時間発展が全く異なった様相を見せるということである。また、もう一つ大事な話は、先ほどの「マクロはミクロに勝てる」に繋がるのだが、マクロな観測系の状態によって、ミクロな量子系の状態に因果的な作用を及ぼせるということである。

 

といった感じにこの章では、エピローグへの伏線を張りまくって終わる。個人的には、「マクロはミクロに勝てる」という話にものすごくびっくりした。僕は、ずっと還元主義的な立場をとっていたので。ただ、還元主義的な分子生物学とか量子生物学に嫌気がさしていたので、このような観点でものを考えることが可能であるという知らせには、勇気をもらった。

 

 

 

 

エピローグ

エピローグでは、生命を記述するためには、新しい物理学が必要ではないかといった話。生命を記述する新たな物理学を創りたいというのは、僕が学位留学用の奨学金書類に書いた話であるし、海外の大学院の出願書類での一つであるStatement of Purposeに書こうと思った話であるし、僕が生涯にわたって研究したい話でもある。

 

生命を記述するためには、量子力学、熱統計力学といった物理学の他に化学や生物学の知識、さらに生命を情報処理システムと捉えるならば、計算理論の知識も必要になってくる。これらの分野の橋渡し的な役割を担えると期待されているのが情報理論であり、情報理論をベースにすれば、生命を記述できるんじゃないかっていうのが一つ目の主張。

 

そして、従来の物理学が生命を記述するのにふさわしくないことを指摘している。ここで散々張られた伏線が回収される。物理学では、物理法則は神様がつくった絶対不変なものであるという風潮がある。さすがに現代では、神様がつくったなんて思っている人が少ないと思うが、少なくとも絶対不変であると考えられる。個人的には、相対性理論あたりから、この傾向が強まったんじゃないかって思う。しかしながら、物理法則が絶対不変であるというのは、みんなが単に信じていることであった絶対的に正しいという保証はどこにもない。

 

状況によって従っている法則が変化する例は、先ほど測定した量子力学の測定問題。そして、絶対不変という現在の物理学と生命現象が相いれないのは、明らかである。生命現象は、自己言及のシステム、つまり「システムの振る舞いは、システムの状態に依存」しているのである。例えば、生命の振る舞いを決める遺伝情報は、時間発展とともに変化し、その変化によって生命の振る舞いを決める規則も変わってくるのである。システムの状態に依存して法則が変化するという考え方は、先に説明したセルオートマトンでも示されている。生命体と環境を表すセルオートマトンの状態に依存して、更新ルールが変化することによって、更新ルールを固定した時には見られない多様性が生まれるのである。

 

そして現在の物理学は、物理現象は素粒子が従う法則を基盤にボトムアップによって理解できるという還元主義的な考え方が根強い。これを改めて、生命を情報処理の組織構造という大きな単位で見て、トップダウンの因果関係を含む物理学を創れば、生命に迫れるのではないだろうかと主張されている。

 

まとめると、生命を記述するために必要なのは、情報理論をベースとした状態依存的でトップダウン型の新たな物理学。

 

 

 

とりあえず、まずは学位留学の奨学金の面接を頑張ります…。

 

 

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