大学教員による対面講義は誰も幸せにならないんじゃないかって話。

目次。

 

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はじめに。

たまには、時事ネタ(大学の講義のオンライン化)に絡んだ話。1万字以上あるので、ご注意を。

この文章は、僕の経験に基づく、独断と偏見で書いたものなので、悪しからず。

 

新型コロナウイルスの影響で、多くの大学でオンライン講義が行われている。僕が前いた大阪大学でも、今いる東京大学でもオンライン講義。

 

なんなら、後期も講義をオンラインにすると決めた大学がちらほらあるらしい。特に私立大学とかになると、学費は年間100万円くらいかかるらしいので、どう考えても採算が取れない。自宅で講義を聴くだけで、100万もかかるのか。。。

 

ちなみに僕は、大学院生で、今は講義を取っていないので、あんまり関係がない。6月中旬から普段の生活に戻った。平日は毎日、研究室に行って、実験している。

 

 

大学の講義は実技を除き、全てオンライン講義(ビデオ講義)にするべきでは?

ここからが本題。個人的には、新型コロナウイルスが収束しても、大学の講義は、原則オンラインでいいのではないかと思っている。

 

 

 

 

そもそも大学の講義システムがうまく機能しているようには思えない。

大学の講義システムは、うまく機能しているように思えない。オンライン講義(ビデオ講義)を採用するかしないかはともかく、少なくとも何かしらの形で大幅に改革した方がいいと思う。

 

大学教員に教員免許はいらない。教えるのが苦手・講義したくない大学教員も講義に駆り出される。

小学校・中学校・高校で教員になるためには、大学で専門の講義(教職)を取って、実習を行って、教員免許を取らなければいけない。

 

一方、大学で講義をするのには、教員免許なんていらない。教育に関する講義を取らなくても、実習を行わなくても、大学教員になれる。小学校・中学校・高校の教員に必要な教育法の知識なんて、持ち合わせていなくても大丈夫なのである。

 

また、教育に関する知識、経験がなくてもなれるため、大学教員の中には、講義がむちゃくちゃ分かりにくい人が一定数いる。

 

いくら講義をするのが苦手でも、講義をしたくなくても、「大学で研究を続けたい!」のであれば、強制的に講義をしなければならない。

 

講義をするのが苦手な人、講義をしたくない人も強制的に講義をしなければならない制度は、大学教員側にも学生側にもマイナスであると思う。

 

 

教育活動は、大学教員にとってあまり重要視されない。

もちろん大学教員の募集要項なんかには、研究活動に加えて、教育活動も大事だという風な文言が書かれている。しかし、教育活動は、研究活動のような明確な指標がないため評価されにくい。

 

もちろん、「どれだけ講義を行ってきたか?」ということは、講義数を数えれば、定量的に判断できる。しかし、その講義の質はどうだったかについては、評価されない。

 

受け持っている3個の講義全てにおいて、長い時間をかけて講義資料を作り、真剣に講義を行い、その傍らで論文を2本書いた人より、受け持っている3個の講義全てにおいて、準備をほとんどせず、ただ教科書を丸読みするような講義を行い、その傍らで論文を3本書いた人の方が業績的に上なのである。講義をどれだけ真剣にやったなんて関係ない。

 

できるだけ手を抜いて講義を行って、余った時間を研究につぎ込んだ方が、業績が出て、大学で職を得やすい求人システムに現状なっているのである。

(と言っても、確かに業績は大事だが、実は大学教員の求人は、ゴリゴリのコネ)

 

 

手を抜いて講義を行う大学教員が一定数いる。

小学校・中学校・高校の教員の場合は、「児童・生徒に教えたい!」っていう想いから教育大学に入学、もしくは一般の大学で教職を取り、実習をし、教員免許を取得している。

 

一方、大学教員の場合は、「学生に教えたい!」っていうよりも「研究を続けたい!」から大学に残ったっていう人が多い。しかし、大学に残って研究を続けたいのであれば、研究の合間を縫って、学生に講義をしなければならない。

 

「研究を続けたい!」っていう人が強制的に研究の時間を削って、講義を行っているのだから、出来るだけ手を抜いて、講義を行おうと考えるのも、まあ当然のような気がする。

 

僕が受けた講義の中で印象に残るくらい手を抜いた講義をしていた大学教員は、2人いた。

 

1人目は、教科書の図を張り付けたスライドを映しながら教科書の本文をコピーした紙きれをただ音読しているだけの人。ひたすら、うつむいて紙を読んでいるだけだった。

 

2人目は、ほとんど何も説明せずに、ただただ「物理の数式」と「レポート課題の問題」を黒板に書くだけの人。レポート課題の問題の解説は、一切しない。本当に「物理の数式」と「レポート課題の問題」を黒板に書いただけで、講義が終わる。

 

 

講義を適当に聴く学生が一定数いる。

僕ですね。ごめんなさい。

 

僕は、講義には、ちゃんと出席していたが、講義を聴かずに教科書を読んでいるか(その方が分かりやすかったから)、一番前の席で寝ていることが多かった。講義は、まじめに聴かないことがちょくちょくあったが、勉強はしていた。首席卒業できるくらいに。

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僕の周りは、スマホのゲームに熱中している人が多かった。

 

 

カンニング・レポート不正。

僕がいた大阪大学の工学部では、カンニング・レポート不正がよくあった。念のために言っておくと、僕はやったことはない。人のものを写すよりも自分でやった方が早い。

 

カンニング・レポート不正を間近で見ていたのも、大学の講義システムは、うまく機能していないんだなって思ったきっかけの一つ。

 

僕がいた工学部は、学生の数がどの学部よりも多く、1つの講義には50人~200人の学生がいた。学生50人~200人に対して、大学教員は1人、よくてTAをやっている大学院生が数名、加わる。

 

試験中、カンニングしていないか見回る大学教員がいる一方、試験時間ずっと、教卓に座って、パソコンを開いて、仕事をしている大学教員も結構いる。学生の数が多く、大学教員は、パソコンを見ているので、カンニングし放題の環境であった。

 

カンニングの手法として、よくやられていたのが、股の下にスマホを置いて、見回りがいないときに股を開いて、スマホでカンニングし、見回りがやってきたら、股を閉じて、スマホが見えないようにする手法。

 

レポート不正に関しては、誰もいないときにレポートボックスから他人のレポートを勝手に取って、スマホで写真を撮って、バレない程度にパクる人がちょこちょこいた。

 

重ねて言うが、僕は、カンニングも、レポート不正もやったことはない。ただ、周りにやっている人が結構いて、なぜか自慢してくるので、これら手法を知っている。

 

カンニングしている人たちに巻き込まれて冤罪になりたくなかったので、僕は、一番前の席に座って試験を受けることが多かった。

 

レポート課題は、出来るだけ早く終わらせていたが、レポートボックスから僕のレポートが抜き出されることがないよう、すぐには提出せずに締切の直前に提出するようにしていた。

 

 

カンニングに対する処罰が厳しすぎる?

カンニングの話は、この文章の本筋とは関係ないが、折角なので昔から思っていたことを少しだけ。

 

大阪大学の場合、カンニングしていることがバレると、その学期の単位が全て没収される。

 

個人的に、この処罰は重すぎると思う。別にカンニングした人に同情しているわけではない。処罰が重すぎるがゆえに、摘発されずにカンニングが横行しているのだと思う。

 

大学教員がカンニングを摘発するメリットは皆無。カンニング摘発で賞金がもらえるわけではない。

 

一方、デメリットはある。カンニングが摘発されると、その学生の今期分の単位が全て没収される。そうなると、かなり高い確率で留年する。留年すると、その人の将来が結構狂う。そうなった学生は、摘発した大学教員を逆恨みするかもしれない。暴力行使をする人は少ないかもしれないが、その大学教員の悪口をSNSに書き込むなんかは普通にあると思う(大学教員の悪口を書いた投稿をSNSで見かけたことは何回もある)。

 

また、もちろんカンニングは悪いことで、それを摘発するのは正しい行いであるが、その正しい行いによって結果的にカンニングした学生の将来が狂ったという事実は、大学教員を精神的に苦しめると思う。

 

現状、カンニングを見つけたとしても、見て見ぬふりをすることが大学教員にとって、一番よい選択肢となってしまっている。そのため、カンニングに対する処罰をもっと軽くして(その単位だけ無効になるとか。実名公表とか)、大学教員に対する精神的なダメージを軽減させれば、摘発数が増えて、きちんと処罰がカンニング抑止力として、はたらくと思う。

 

 

 

 

対面講義は、時代遅れ?

何十年前から変わらず、何十年後も変わらない、かつ全国どの大学でも同じような講義を毎回、人がやる意味があるのか?

線形代数、電磁気学、量子力学などといった学問は、完成されたものなので、教える内容は、何十年前から変わらず、何十年後も変わらない。そして、その内容は、北海道から沖縄まで一緒である。

 

これは、理系分野に限ったことではない。ロシア語文法の講義の内容なんて、コロコロ変わるようなものではない。そもそも言語の文法なんて、そんなにすぐには変わらない。また、北海道と沖縄で教えているロシア語文法が違うなんてこともありえない。

 

そんな毎年毎年、全国各地で同じような講義が繰り広げられるのなら、いっそのこと誰かの講義をビデオで撮って、毎年毎年、全国各地で流せばいいのに。。。

 

 

講義を真面目にやりたくない大学教員に講義をやらせる必要があるのか?

大学に残って研究したければ、研究の時間を縫って、講義も行わないといけない。講義をするのが苦手であっても、やりたくなくても講義をしなければならない。一応、大学「教員」なので。

 

「講義やりたくないな」っていう気持ちがあふれ出ている大学教員の講義は、大学教員にとっても、学生にとってもマイナスなのは明白。

 

 

大学教員は、誰でもできるような仕事(講義)に時間を割くのではなく、その人にしかできない高度な知識や経験が必要な仕事(研究)に時間を割いた方がいいのでは?

最先端の内容を除き、線形代数などといった基礎的な内容は、別に大学教員でなくとも教えられる。大学院生でも普通に教えられると思う。

 

一方で、研究だとそうはいかない。研究には、高度な知識や経験が必要である。そして、そのような知識、経験を持っているのが大学教員。そして研究は、時に世界を大きく動かす。

 

高度な知識、経験を必要とし、時に世界を大きく変えるかもしれない研究活動を犠牲にして、誰でもできる教育活動を大学教員が行うのは、日本・世界にとって、大きな損失になるのでは?

 

 

対面講義の進捗速度を学生一人一人の理解速度に合わせることは不可能。

物事をすぐに理解できる人もいれば、理解するのに時間がかかる人もいる。集中力が長続きする人もいれば、すぐに集中力が切れる人もいる。集中力が切れるタイミング、集中力が戻ってくるタイミングは人によって、何なら同じ人であってもその日の体調によって、バラバラ。

 

小学校、中学校なら生徒間の能力の差はあまりないが、高校、大学と年月を経るに従って、個人の能力の差は大きくなり、多様化する。小学校、中学校では、みんなのスタートラインがほぼ一緒なので、みんなで一緒に走る(対面講義)のもありかもしれないが、大学になると、みんなのスタートラインは、ばらばら(受験である程度、スタートラインを揃えるが)。そんな中、みんなで一緒に走れっていうのには無理がある。

 

小学校、中学校っていうのは、学問を究めるというよりも、学問を究めるための下地を作ることに重きを置いているような気がする。小学校低学年の子に何かを継続して学ぶ習慣を身に着けさせたり、誰かと協力して何かを成し遂げるという経験を教えたりするためには、対面講義や人と人との触れ合いが大事だと思う。

 

既に義務教育で、そういった教育は受けているはずなので、大学では、もう必要ない。

 

 

学生の経済状況は、それぞれ違う。

学生間の能力には差があるが、受験というシステムで、ある程度、能力は揃えられる。しかし、学生間の経済状況は、そうはいかない。

 

学費、生活費を親から出してもらっている人もいるし、僕のように実家からの支援がない人もいる。僕は、日本学生支援機構から借金をして、お金を工面したが、中にはバイトをしてお金を工面している人もいる。

 

どれだけ、生活費を稼ぐためにバイトをしなければならないかは、学生間でかなり差がある。

 

バイトをするなら、夜勤の方が少ない時間で効率的に稼ぐことができる。しかし、夜勤バイトをすると、朝に起きることができず、講義に参加することができない。夜勤で必死に生活費を稼いでいるから、講義に参加できないなんて関係ない。講義に来なかった人は、不真面目な人というレッテルが貼られる。

 

 

 

 

オンライン講義(ビデオ講義)運用法の提案。

大学教員がオンライン講義(ビデオ講義)を自由に投稿できるサイトを作る。

学問の面白さを伝えたいという情熱のある大学教員がオンライン講義(ビデオ講義)を投稿する。普段、手を抜いて講義を行う大学教員は、誰も幸せにならないので、無理に講義をする必要はない。

 

サイトは、線形代数、電磁気学、はたまたロシア語の文法、経済学といった細目に分かれていて、それぞれの細目には、ある程度、こういった流れで、講義を構成してほしいといった大まかな枠組みが書かれている。

 

投稿者は、その大まかな枠組みに従って、講義動画を取り、サイトにアップする。

 

イメージ的には、YouTuberのヨビノリたくみさんがされていることを大学教員がやる感じ。

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大学側は、サイトにアップされた動画から良いものを選んで、カリキュラムを作る。

物理学科だったら、サイトに投稿された線形代数、電磁気学、量子力学、…の講義動画の中から、よい動画を選び、それをまとめてカリキュラムを作る。学生は、対面講義の代わりにそれら動画を視聴する。どの動画を選ぶかについては、教授会で話し合えばいいと思う。それぞれの科目について、1つの講義動画シリーズだけを選ぶのではなく、5つくらい選んでおいて、学生にその中から自分に合う人の講義動画シリーズを選んで受講してもらうのがいい。

 

 

学生の講義の受講状況に基づきカリキュラムを改変。

例えば、線形代数の講義動画シリーズを教授会で5つくらい選んでおき、学生は、その中から1つ選んで受講する。そうすると、どの講義動画シリーズが人気で、どれが人気でないか分かる。人気の講義動画シリーズは、来年も選択肢に残しておき、人気がなかった講義動画シリーズは、別のものに変える。

 

 

 

 

オンライン講義(ビデオ講義)の利点。

大学教員は、研究に多くの時間を割くことができる。

講義は、実際に講義をやっている時間に加えて、その準備にも多くの時間を費やさなければならない。講義が終われば、学生が質問にやってくるので、その対応。

 

オンライン講義(ビデオ講義)を導入すれば、大学教員は、講義準備・講義の負担が減る。負担が減ると、学生の質問に対して、もっときめ細やかに対応できるかもしれない。

 

そして、研究時間を確保することができる。先ほども言った通り、研究は、高度な知識と経験が必要で、時に世界を大きく変えることができる。誰でもやれる仕事(講義)ではなく、彼らにしかできない仕事(研究)に多くの時間を費やすことができた方が、世の中のためになる。

 

 

大学教員の教育活動が正しく評価される。

今まで大学教員の求人では、受け持った講義数については考慮されても、その一つ一つにどれだけ熱量を込めているかについては、評価されてこなかった。

 

しかし、講義動画を投稿するサイトを作って、各大学が良さそうな講義動画をカリキュラムに組み込む方式が確立されると、それぞれの講義動画の人気度が一目瞭然となる。どの講義動画がどの大学でどれだけ取り入れられているか、数字となって定量的に表示されるからである。

 

投稿した講義動画の人気度によって、その人の教育に対する熱量をしっかりと定量することができる。

 

 

不安定な任期付き大学教員の生活が安定する。加えて研究費も。

大学教員は、不安定な職業。任期付きのポストが多く、任期が少なくなると、研究の傍ら、新たなポストを探さないといけない。そして、大学のポストは、競争が激しい。

 

任期切れまでに、新しいポストが見つかって、ちゃんと生活していけるのか?任期付きの大学教員は、そんなことを考えつつ、研究を行っている。

 

任期付きの大学教員の生活の不安定さを少しでも改善する方法として、投稿動画の人気度合いによって、収入が得られるシステムを導入してはどうかと思う。

 

講義動画を一般公開しないのであれば、各大学がその講義動画を使うたびにその動画を作った大学教員に使用料を払うといったシステムを作ればいいと思うし、一般公開して、誰でも気軽に大学の講義を受けることができるようにするのであれば、企業に広告掲載をお願いする、寄付を募る、個別に投げ銭するといった方法で、大学教員に収入が入るようにすればいい。

 

そのお金は生活費のみならず、研究費にも使うことができるといった柔軟性があると尚、良いかもしれない。

 

色々なストレスの中でも経済的な状況から発生するストレスは結構ヤバいとどこかで聞いたことがある。品質の高い講義を作れば、毎月、一定の収入が入ってくるシステムを作っておけば、任期が迫ってきている大学教員のストレスは、かなり軽減されると思う。仮に任期内に新たなポストが見つからなくても、講義動画の使用料で、何とか生活していくことができる。

 

 

社会に才能を発掘されやすくなる。

どんなに難しい概念を教えるのが上手かったとしても、対面講義だと、その「教えるのが上手い才能」は、講義受講者にしか伝わらない。

 

一方で、講義動画をサイトに投稿して、その動画を誰でも見れるようにしておけば、その「教えるのが上手い才能」は、日本全国に知れ渡る。そして、「〇〇について解説する参考書を書いてくれないか」といった依頼、「〇〇に関するニュースを報道するからコメンテーターとしてテレビに出てくれないか」といった依頼がくるかもしれない。

 

これは、対面講義といった閉じた世界ではなく、インターネットという開いた世界に講義を公開することによって生まれる利点である。才能が社会に発掘されて、大学教員の仕事の幅が広がれば、先ほどの講義動画による収入と併せて、任期付きの大学教員の生活安定に寄与することができる。

 

 

競争原理により教育の質が上がる。

現状の対面講義だと、生活が不安定な中、一生懸命、講義の準備をして、熱心に講義をしている任期付きの大学教員よりも、むちゃくちゃ雑な講義をする任期のない教授職に就いている大学教員の方が給料は高い。大学教員の給料は、職階で決まる。講義の準備を一生懸命やろうがそんなものは関係ない。

 

こんなシステムだと、まじめに講義をするのが馬鹿らしくなってくる。生活が安定する職階(教授、准教授)に早くなりたいのであれば、講義なんかに雑にやって、研究に時間を費やした方がいい。

 

大学教員が講義動画をサイトに投稿し、大学側がよい動画を選び、カリキュラムに導入するという方式が浸透すると、講義動画間に競争原理がはたらく。

 

いくら教授職に就いている大学教員だろうと質が悪ければ、その動画は採用されない。一方で、任期付きの職階が低い大学教員であっても、一生懸命、品質の高い講義動画を作れば、たくさんの大学に採用されるし、それによる対価(収入)もきちんと受け取ることができる。

 

 

選び抜かれた品質の高い講義を視聴することができる。

対面講義だと、運が悪ければ、むちゃくちゃ手が抜かれた講義を聴かなければならないことがある。

 

僕も先ほど言った通り、教科書をコピーした紙きれをただただ音読している大学教員や黒板に「物理の数式」と「レポート課題の問題」をただ書きなぐるだけで、ほぼ何も説明しない大学教員の講義を受けたことがある。

 

一方で、教育活動に情熱を持っている大学教員が講義動画をサイトに上げて、それぞれの大学側が品質の高い講義動画をカリキュラムに採用すると、上記のような、むちゃくちゃ手が抜かれた講義を受けなければいけない可能性は限りなくゼロに近づく。そして、講義動画が集まるサイトには、競争原理がはたらいているので、動画の質はどんどん良くなっていく。

 

 

学問に興味を持つ学生が増える。

いかにも「講義するの面倒くせぇ」って雰囲気を出している大学教員の雑な講義と学生に親身になって、分かりやすく、なおかつ楽しそうにしている大学教員の講義。

…どちらの講義を受けたら学生は、その学問分野に興味を持ちやすいかは、言わずもがなである。

 

難しい内容であっても、大学教員が親身に分かりやすく講義を行えば、学生は少しずつ、その学問の大枠を理解し始め、理解が進むと、その学問が面白くなってくる。また、常に大学教員が楽しそうに、その学問について講義をすれば、その雰囲気は学生にも伝播して、学生もその学問のことが好きになると思う。

 

逆に言うと、講義はやりたくないけど、大学で研究を続けたいから、嫌々やっている大学教員は、学生がその学問に興味を持つきっかけを潰し、その学問が嫌いになるきっかけを作っているということを自覚した方がいいと思う。そして、そういった大学教員が講義を受け持たなければいけない現状のシステムがそもそもダメだと思う。

 

 

オンライン講義(ビデオ講義)ならいつでも、どこでも、分からないところは何度でも視聴することができる。

対面講義だと決まった時間に大学の決まった場所に行かなければ、講義が受けられない。一方で、オンライン講義(ビデオ講義)ならいつでも、どこでも受けることができる。集中力が30分しか続かなくて、講義の途中で寝る人であっても、オンライン講義(ビデオ講義)なら90分の講義を30分ずつ区切って、休憩を入れながら、集中力を保った状態で視聴することができる。

 

また、対面講義中心のカリキュラムだと、学期の途中に長期インターン、長期バイト、短期留学するのは困難である。一方で、オンライン講義(ビデオ講義)だと、インターン先、バイト先、留学先で気軽に講義を視聴することができる。

 

さらに対面講義だと「先生、今の部分、よく分からないので、同じところを5回、説明してもらえませんか」なんてことは言えない。しかし、オンライン講義(ビデオ講義)なら動画を巻き戻せば、同じ説明を何十回も聴くことができる。

 

 

学費・税金を大学院生に使うことができる。

大阪大学工学部の新入生ガイダンスで、覚えているのがお金の話。

 

大阪大学の収入の内訳を表す円グラフ。大阪大学につぎ込まれている税金の額(運営費交付金とか)。税金の総額を学生数で割ると、学生一人当たりにつぎ込まれている税金の額が出てくる。「学生一人一人には、これだけ税金がつぎこまれているから期待に応えられるよう頑張れ」という大学教員の言葉。

 

詳しい額は覚えていないが、少なくとも学費以上の税金が学生一人一人につぎ込まれているようだった。

 

大学の講義の多くがオンライン化されると、設備維持に必要なお金が少なくて済む。教室の照明、空調、掃除は必要ない。オンライン化によって、講義棟が使われなくなったのなら、別の価値ある目的にその建物を使うことができる。また講義には、もはや大学教員は必要ないので、人件費が抑えられる。

 

オンライン講義(ビデオ講義)導入によって、いくらかの学費と税金が浮くだろう。個人的には、その浮いた学費・税金を大学院生に使うのがいいのではないかと思う。

 

「大学生」と「大学院生」の違いをきちんと理解していない人が多く、「勉強させてもらっている身分で生意気な!」っていう的外れな批判も時々見かけるので、簡潔に説明すると「大学で勉強する人が大学生」で「大学で研究する人が大学院生」である。

 

教授・准教授は、たくさん実験しているというイメージを持っている人がいるかもしれないが実はそうではない。大学の職階が上がるほどに講義に加えて、大学の運営、学会での発表などの業務が増えて、研究に費やす時間は少なくなる。実際にたくさん実験をしている人は、大学院生や博士研究員(ポスドク)である。

 

大学院生は、大学の職階ピラミットの一番下で、日本の科学技術を発展させる実働部隊である。

 

「大学院生だけ優遇してズルい」っていう人がいるかもしれないが、大学は日本の科学技術を発展させる場所で、その実働部隊が大学院生であるということを考えると、大学院生の労働条件を向上させることは意義のあることだと思う。

 

現状、日本の大学院は人気がない。理系の場合、就活で有利になるので、みんな修士課程には行くが、博士課程にはいかない。東京大学の大学院のでさえ定員割れを起こす。大学で日本の科学技術を発展させる仕事をするよりも、企業に就職して仕事をした方がよっぽど待遇がよいのである。

 

大事なことなので、もう一度言うが、日本の科学技術を発展させる仕事(大学院生)は人気がない。

 

そのため、浮いた学費・税金は、大学院生に使って、大学院まで行くと、元が取れるようにするのがいいと思う。大学に進学する人の中には、学問を究めたいという志を持った人もいるが、中には周りの人が行くから行く人や、大卒だと給料がいいから行く人もいる。大学院まで行くと元が取れるようにすれば、純粋に学問を究めたい人だけが大学に集まり、それ以外の目的で大学に進学する人に余計な税金を使わなくて済むと思う。

 

 

 

 

オンライン講義(ビデオ講義)導入への障害。

ポストが少なくなり、食っていけなくなる大学教員が増えるかも。

国から配られる研究費の多くは、東大、京大、阪大といった旧帝大と呼ばれる大学や東工大に流れている。その反面、研究したくても、お金がなくて満足な研究できない地方大学もある。さらに地方大学は、研究の実働部隊である大学院生の数が少ない。

 

そのため、暗黙裡に、旧帝大は研究に重点を置いている場所、地方大学は教育に重点を置いている場所といった具合に棲み分けが行われている。

 

そんな中、オンライン講義(ビデオ講義)が導入され、大学教員が講義することがなくなったらどうなるか?旧帝大の大学教員は研究の時間が増えて喜ぶかもしれないが、お金がなくて満足に研究できない地方大学の大学教員にはやることがない。

 

…「じゃあ、そのポスト要らないよね」ってなるだろう。

 

任期なしの大学教員には関係ないだろうが、任期のある大学教員にとって、大学のポストが少なくなるのは死活問題。

 

 

非効率さを維持しようとする。

大学教員は任期付きの職を転々とする不安定な職業であるが、任期無しの職階に就くことができれば、安泰である。どれだけ手を抜いて講義を行っても、どれだけ研究で成果を出さなくても、大学は一般企業ではないので、クビになることはない。

 

安泰な職階に就いても、貪欲に研究を続ける大学教員が大多数であると思うが、中にはそうでない人もいる。

 

任期無しの職階に就けば、どれだけ怠けていても、クビになることはない。

…もう頑張る必要はない。

…大学の教育改革、、、面倒くさくない?

…改革とかせずに手を抜いた講義を続ければ良くない?教科書を音読しとけば…。

 

何かを改革するためには、膨大なエネルギーが必要。改革によって、将来、大きな利益が得られるとしても、この人たちには関係がない。頑張らなくてもクビにならないのだから。

 

新しいものを渋るのは、大学に限った話ではない。

「契約書類にはハンコを押せ!」だの、「書類は、FAXを使って送れ!」だの、Excelのマクロで仕事を効率化して早く帰ろうとしたら、「ずるするな!他の人みたいに電卓を使え!」だの、身近にありふれた光景である。

 

 

 

 

なんやかんや言って、オンライン講義で教育できていますよね?

新型コロナウイルスの影響がなければ、ひょっとすると、10年経ってもオンライン講義(ビデオ講義)が大学で行われることはなかったのかもしれない。

 

「オンライン講義(ビデオ講義)を大学で本格的に導入してみてはどうですか?」なんて提案すると、「そんなものはできるはずがない!」なんて言われて、握りつぶされるであろう。もし、その提案が握りつぶされないのであれば、オンライン講義(ビデオ講義)は大学でとっくの昔に普及しているはずである。インターネットといったオンライン講義(ビデオ講義)に必要な技術は、既に発明されているのだから…。

 

新型コロナウイルスの影響で強制的にオンライン講義(ビデオ講義)をしなければ、ならない状況になった。そして、問題点は色々あると思うが、オンライン講義(ビデオ講義)だけで今学期が終わろうとしている。なんやかんや言って、オンライン講義で教育できていますよね?

 

今、行われている講義の多くは、zoomなんかを使って、大学教員がリアルタイムでオンライン講義をする方式。それならば、講義をビデオで撮影して、毎年、同じ動画を流しても、リアルタイムのオンライン講義と大して差はないだろう。

 

なんやかんや言って、オンライン講義で教育できているのであれば、コロナが収束しても、オンラインのままでいいと思う。

 

 

 

 

ほとんどの講義がオンラインになったとすると、もはや大学に行く意味って?そもそも大学というシステムが時代遅れ?

大学の講義が全てオンラインになったとすると、「講義が全てオンラインなのだから、そもそも大学に行く意味ってあるの?」という疑問が浮かんでくると思う。

 

昔、ヨーロッパで「大学」というシステムができたらしい。詳しくは知らないが、多分、互いに教え合い、議論しながら、学問を発展させるための交流の場が欲しいという理由で大学というシステムができたのだろう。

 

今は21世紀。昔は学者間で交流するためには、大学という建物に向かう必要があったが、今やインターネットがあるので、家にいたとしても、学者間で交流することができる。別に大学が「オフライン」である必要はない。「オンライン」であったとしても構わない。

 

21世紀にもなって、インターネットという便利な技術があるにも関わらず、「オフライン」に固執し続けていた大学って、明治時代の大学とやっていることが一緒で、ひょっとすると相当、時代遅れなのかもしれない。

 

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